前へ
次へ

歴史から見る教育の受けさせない考え方

現代の日本人は、庶民が教育を受けるのは当たり前であり、教育によって国民の質が高まると考えるのが一般的な考え方でしょう。
日本における国民に対しての教育義務は、明治時代からです。
されど、日本では、従来から寺子屋の様な子供が自ら学べる環境が少なからずありました。
これは世界的に見れば、稀な内容であり、知識とは、特権階級にある人の特別に知り得る権利でもあったのです。
朝鮮では、日本の様に独自に文字を持つことさえ、特権階級からの反発がありました。
知識を庶民に与えれば、違った考えを持つ価値観が現れ、特権階級にいる人の地位を脅かしてしまいかねません。
親の立場とすれば、新たな知識の獲得は、親の仕事を引き継ぐ意思にも影響を与えてしまいます。
従来の日本が、庶民への教育に抵抗感がなかったのは、仏教による信仰があったためです。
仏教では、高い位にいる仏の代弁として、位の低い仏が現世の人々に言葉を伝える話があります。
お坊さんの役割は、更らにその代弁者として、多くの庶民に伝える役割があると考えられています。
古代の日本は、日本全体で仏教に寛容であり、庶民に教育を受けさすのに抵抗感はありませんでした。
寺子屋も開いていた多くは、お坊さんです。
この教育の違いを知れば、勉強嫌いな子供も、多少、勉強に対する意識も高まるかもしれません。

Page Top